ド派手なドレスに身を包み、自らのお腹をポンポンと叩きながら放つ「どやさ!」の一言。昭和から平成にかけてのお笑い界に金字塔を打ち立てた女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」のボケ担当、今くるよさんが2024年5月に旅立ってから時間が流れた現在も、上方演芸界においてその存在感は色褪せるどころか、むしろ偉大なレジェンドとして輝きを増しています。
男性社会だった当時の吉本興業において、女性コンビのパイオニアとして道を切り拓き、晩年まで後輩たちに深い無償の愛を注ぎ続けたくるよさん。最愛の相方である今いくよさんとの絆、闘病の末に迎えた最期の真相、そして生涯独身を貫きながら「芸人の母」と慕われた知られざる人間ドラマの全貌に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:死因はすい臓がん。2015年に先立たれた最愛の相方・今いくよさんの命日前日に旅立つという運命的な最期でした。
- 要点2:生涯独身で子供はいなかったものの、中川家をはじめとする吉本興業の後輩や弟子たちを実の子のように慈しみ、多大な影響を与え続けました。
- 要点3:高校の同級生から始まった「今いくよ・くるよ」の歩みは、女性芸人の地位を劇的に向上させ、現在の演芸シーンにもその精神が息づいています。
【死因と闘病の真相】今くるよさんを襲ったすい臓がんと最期の瞬間
今くるよさんが息を引き取ったのは、2024年5月27日のことでした。享年76(一部報道では79)。公表された死因はすい臓がんでした。すい臓がんは自覚症状が現れにくく、発見時には進行しているケースが極めて多い難治性の病気として知られています。
晩年のくるよさんは、膝の不調などによる歩行困難を抱えながらも、劇場や後輩たちの舞台に時折顔を見せ、持ち前の明るい笑顔を振りまいていました。しかし、裏では病魔との静かな戦いが続いていたのです。体調が急変して大阪市内の病院に入院した後、親族や親しい関係者に見守られながら静かに息を引き取りました。
関係者の心を最も揺さぶったのは、その旅立ちの日時でした。くるよさんが亡くなった5月27日は、2015年に胃がんで先立った相方・今いくよさんの命日(5月28日)のわずか前日だったのです。「いくよさんが命日に合わせて手招きしたのではないか」「天国でもう一度漫才の稽古を始めるために旅立ったに違いない」と、吉本興業の仲間やファンは涙とともにその奇跡的な巡り合わせを偲びました。
【運命の相方・今いくよとの絆】高校ソフトボール部から始まった半世紀
「今いくよ・くるよ」の原点は、京都明徳高校時代にさかのぼります。2人は体育会系のソフトボール部で出会いました。くるよさんがキャッチャーでキャプテン、いくよさんがピッチャーを務める黄金バッテリーを組み、国体に出場するほどの実力派アスリートとして青春時代を共に過ごしたのです。
卒業後はそれぞれ会社員として勤務していましたが、「もう一度2人で面白いことをやろう」と意気投合し、1970年に昭和の名人漫才師である島田洋之介・今喜多代の門を叩きました。当時の演芸界は完全な男社会であり、女性が漫才で一本立ちすること自体が極めて困難な時代でした。
それでも2人は折れることなく、1980年代の漫才ブームで一気にブレイクを果たします。細身でつけまつげがトレードマークのいくよさんと、ふくよかでド派手な衣装を着こなすくるよさん。体型差を巧みに生かしたビジュアルのコントラストと、テンポの良い上方しゃべくり漫才は全国のお茶の間を瞬く間に虜にしました。
2015年にいくよさんが胃がんで亡くなった際、くるよさんは会見で涙を流しながら「日本一の相方やった。天国で待っててな」と語りかけました。半世紀以上にわたり、仕事仲間を超えた家族以上の絆で結ばれていた2人の関係性は、今なお語り継がれるお笑い界の美しい友情の象徴です。
【若い頃と波乱の経歴】吉本興業の歴史を変えた女性漫才のパイオニア
若い頃の今くるよさんは、非常に活発で気配りのできる女性でした。下積み時代は師匠宅での厳しい雑用や稽古に耐えながら、どうすれば女性の自分たちが男性芸人たちと対等に渡り合えるかを徹底的に研究しました。
その試行錯誤から生まれたのが、あの伝説のギャグ「どやさ」です。元々は京都弁の「どうなの?」「どうよ?」を意味する日常的な方言でしたが、くるよさんが舞台上でお腹を叩きながら絶叫することで、どんな空気も一瞬で爆笑へと変えるキラーフレーズへと進化しました。衣装も自前で特注したスパンコールやフリル満載の派手なデザインにこだわり、「舞台はお客様を楽しませるお祭り」というプロ意識を徹底して貫いたのです。
その功績は数字にも表れており、1984年には「上方漫才大賞」の大賞を受賞。上方お笑い大賞など数々の主要タイトルを総なめにし、吉本興業における女性芸人のステータスを根本から引き上げました。現在活躍する多くの女性芸人たちが第一線で輝ける土壌は、いくよ・くるよの2人が泥臭く切り拓いた道の上に成り立っています。
【結婚と子供の真相】生涯独身を貫き「芸人の母」として愛された理由
インターネット上やファンの間では「今くるよさんは結婚していたのか?」「子供はいたのか?」という疑問が度々検索されます。結論として、今くるよさんは生涯独身であり、実子はいませんでした。
若い頃から相方のいくよさんと共に漫才一本に人生の情熱を捧げ、家庭を持つこと以上に舞台で人を笑わせる生き方を選び取ったのです。しかし、くるよさんは決して孤独ではありませんでした。私生活におけるくるよさんは、吉本興業に所属する若手芸人たちにとっての「大阪のお母ちゃん」そのものだったからです。
まだ売れておらず生活が苦しい若手を見つけると、必ず「ご飯ちゃんと食べてるか?」「お肉食べに行こ!」と声をかけ、高級ステーキや焼き肉を腹一杯になるまでご馳走するのが日常茶飯事でした。自分自身の子供を持たなかったくるよさんにとって、同じ志を持って笑いの世界に飛び込んできた後輩芸人たちこそが、愛してやまない「我が子」だったと言えます。
【弟子や後輩が語る素顔】中川家や次長課長ら吉本芸人に遺した教え
今くるよさんを語る上で欠かせないのが、後輩芸人たちへの深い愛情と厳格な礼儀指導です。直弟子のサカイストをはじめ、中川家、次長課長、ブラックマヨネーズなど、現在の日本のお笑い界を牽引する人気芸人たちの多くが、くるよさんの温かい庇護のもとで成長しました。
くるよさんの教えは明快でした。「舞台に立つ人間は、裏方のスタッフさんや劇場を守ってくれる人に誰よりも頭を下げなあかん」「お客様を絶対に裏切るな」。どんなに売れっ子になっても楽屋挨拶や周囲への感謝を絶対に怠らなかったくるよさんの背中を見て、若手たちは芸人としての矜持を学んだのです。
中川家の2人はテレビ番組やラジオでも度々くるよさんへの追悼と感謝を口にしており、「くるよ師匠がいなかったら今の自分たちはいない」と述懐しています。楽屋に入れば常に大声で場を明るくし、悩んでいる後輩がいればそっと寄り添う。その温もり溢れる人間性が、吉本興業という巨大な組織の中で強烈な求心力となっていました。
【現在の評価と追悼】愛され続ける「どやさ精神」の継承
くるよさんが世を去ってから歳月が経過した現在でも、NGK(なんばグランド花月)をはじめとする各劇場では、彼女の残した精神が脈々と息づいています。舞台袖で手を叩きながら出番前の後輩を激励していたくるよさんの姿は、今も多くの芸人たちの心に焼き付いて離れません。
テレビやラジオでは、追悼特番や過去のアーカイブ映像が定期的に放送され、若い世代の視聴者からも「こんなに底抜けに明るくて元気をもらえる漫才師は他にいない」と再評価の声が上がっています。単なるギャグにとどまらず、見る人すべてを肯定し、世の中の鬱屈を吹き飛ばすパワーを持っていた「どやさ」の精神。
天国へと旅立った今くるよさんは、すでに先へ行っていたいくよさんと再会を果たし、雲の上で再び息の合ったソフトボールのバッテリーのように、極上の漫才を披露しているはずです。
【今くるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今くるよさんの死因と亡くなった年齢は?
A1:死因はすい臓がんです。2024年5月27日に大阪市内の病院で亡くなりました。享年は76歳(公式プロフィール等により79歳とされる場合もあります)でした。相方・今いくよさんの命日の前日に旅立ったことでも知られています。
Q2:今くるよさんに結婚歴や子供はいましたか?
A2:生涯を通じて結婚歴はなく、独身でした。実のお子さんもいませんでしたが、弟子や吉本興業の後輩芸人たちを本当の子供のように可愛がり、多くの芸人から「芸人の母」として深く敬愛されていました。
Q3:代表的なギャグ「どやさ」の由来や意味は何ですか?
A3:「どやさ」は、関西弁・京都弁の「どうなの?」「どうですか?」という言葉がベースになっています。くるよさんが舞台でお腹を叩きながらリズミカルに叫ぶことで、唯一無二のギャグとして全国的に定着しました。
まとめ:昭和・平成の笑いを灯し続けた今くるよさんの偉大な足跡
今くるよさんが歩んだ人生は、女性漫才師という道を切り拓き、笑いに全てを捧げた誇り高き軌跡でした。相方・今いくよさんと共に築き上げた一時代は、日本のエンターテインメント史に刻まれるかけがえのない財産です。
厳しい闘病生活の果てに天国へと旅立ちましたが、彼女が振りまいた太陽のような明るさと、周囲を包み込んだ無償の優しさは、今なお多くの人々の記憶に生き続けています。「どやさ!」と力強く叫びながら駆け抜けた今くるよさんの魂は、これからも上方演芸の舞台に温かい光を灯し続けることでしょう。 (出典: 今 くる よ(Yahoo!ニュース))